文責:蒋草馬
選手としての松山から3年も経つと、ずいぶんと気楽な観客としての気分が強まってくる。過去というものは、とつぜん近づいてきたりもするが、やはり遠くにいきやすい。観た記憶、観てない記憶、それぞれすこし書き出して、皆の記憶を刺激してみるのもたのしい戯れだろう。それがもし、なにかの応援になるのなら、なったらいいと思う。あと、新京大俳句会もどうぞよろしくお願いいたします。(俺以外だれも原稿を書き終えられなかった(始められなかった)ので俺のだけアップします)
気になった句
当日観たものを中心に。
四方青田なり暁のパチンコ屋 洗足B(岡田愛菜)
かがやく青田。ロード、サイド。
さいならと放つて青田ひらけたり 済美平成(松江祐芽)
さいなら!すべての!青!
水城や先生はところてん頼む 海城(土谷海理)
学校名も背負ってお洒落。食の細い老齢のからだを思う。
全方位見え全方位青田なる 名古屋C(近藤理仁)
見え、が素晴らしい。僕たちには全方位が、見えるはずだから。
心太くつきりと水沈みゐる 興南B(下園茉央)
沈、という漢字の、異形。
ところてん濁りつつ透け十七歳 旭川西(勇川こゆき)
動詞の連続に生まれる小刻みなリ、ズム。十七歳最後の夜は箱根超えをしている途中命からがらたどり着いた湯河原で明かした。焦燥感。

天牛に星や太陽かがやける 星野(酒井真結子)
「や」は並列で取ってみる。ざっくり昼夜をかんじてみることのからっとした匂い。季語との字面の近似は惜しいと考える。
太陽の熱いつぱいに呑む青田 京都共栄(神田恭志)
「呑む」が実はふつうに「私が水をのむ」ことだったらどうしよう。それもうれしいかも。
祭には行かぬ帰郷や心太 横浜翠嵐(池田光希)
こういう故郷もある。ある。季重なりについてどういうディベートが行われたかは知らないが、心太が主役という読みはイージーすぎると思うのでぼくとしては避けてみたい。そもそも盆のころの心太っぽいよね。祭の匂い。
突起、節、髭、星、夜空、天牛に 横浜翠嵐(那住悠太)
点描のように。現代詩文庫の吉増剛造詩集に、剛造はエクスクラメーションマーク(!)を打つたびに世の中に杭を打っているのだという解説があったのをおもいだす。ぼくたちが句点や読点をうつときには世のなにに点をうつことになるのだろう。
風受けて沈み青田の濃くなりぬ 洗足A(下平佳夏子)
スピード、感。連用形。
訓練の梯子に天牛虫がゐる 灘(岡部勇澄)
訓練の。それから。ゐる。ということばは何度見かけてもみとれる。どうしてこうも、ぼくたちは「ゐる」ということを何度も言えるのだろう。あと「に」を省略しなかったのは偉かったんじゃないか。

ところてん数独はまづ薄く書き 名古屋B(山本昊太朗)
昼。ウィーンとさがる。
告げにけり花は葉になつてしまふから 旭川西(工藤夏月)
文体。特に上五の入り方。
思ひだせずゐるまた枝豆を食ふ 名古屋C
急に。
天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 学習院女子(本間まどか)
音。
天牛の眉間の瘤が見えて来ぬ 興南B(天久大輔)
ぬ。
夏の雨百万遍のバスを待つ 洛南(澤西敦大)
なにも発見しない、平坦な書き方であるから光るのだ。百万遍は京都大学本部キャンパスの目の前にある交差点。さまざまな系統で市バスの行き先に表示されるバス交通網の要点でもある。祇園へ行くバスも、銀閣寺へ行くバスも百万遍を通っていく。このサイトでこの句に触れないわけにはいかないだろう。先日同期の人間に、交差点ということなら渋谷でもいいと言われたがそんなわけがない。まず渋谷に循環バスは来ない。たしかに渋谷は火炎瓶の応酬があった場所であるし東京大学というアカデミズムの象徴的機関がほどちかい。これらはどうも百万遍に似通う事項だ。しかし、百万遍と京都大学の距離は近いという話ではなく、むしろそれ自体であるほどに接している。見えているのだ。さらにタテカン掲示やアジテーションの場としての百万遍はまさにアカデミアの境界の侵犯の行われるその場所であるから、この接しているという事実は重要だ。交差点を囲むスカイラインもはるかに異なる。また百万遍は学生街でありながら住宅街へも接続されていく。左京区に宮下パークはない。そしてこれらの土地性を包含しながら、高校生にとっての日常的な地名としての側面をこの句では見せていくのだ。

その他
青田は神を詠みこんだものが複数あり、そのことに驚いた。「花は葉に」は題の文型をもじったものが多かった。興南高校の敗者復活戦の句はA,B揃って父の句でおもしろい。
それから、試合結果を眺めて気づくのは案外入選句の試合での作品点が低いこと。入選句であれば8点は手堅いイメージを勝手に持っていたが、7点をつける審査員がマジョリティの句も多い。選の難しさでもあり、また俳句甲子園の選の多様性でもある。あるいは、異なる立場を納得させる句が出現しなかったとも取れるかもしれないが。

好きだったチーム
灘
ディベート、特に攻めの質が良かった。見た試合で覚えているのは、対松山東の「青田」。以前の質問と同質の問題意識を再提示しつつそれが句全体へ通底する問題であることを明らかにして別の箇所へと検討の目を推移させる手法が華麗だったと思う。守りにも似た傾向があった。昨今のディベートは「よく分かりました」「ありがとうございます」といった枕詞による発話同士の断絶が目立つ中で比較的注目に値するやり方だった。部長の岩瀬くんは今年が高3であるから残念だ。

おわりに
共同体的所作は往々にして莫迦莫迦しい。俳句甲子園は愛すべき大会だが、世界を変えるわけではない。俳壇でさえ即時的には変えられない。学校ではなおも野球部のほうが応援されたりする。あれだけ熱中していたはずの大会も、数年経てばけろっと身体から抜け出していく。しかしそのことは俳句をやめることを要請しはしない。自由に、やればいいと思う。熱中するもしないも。俳句もいいけど、いろんなことに道草してみるのもいいと思うよ。ひややかに、夏は終わっていく。
あとはもう、わからなくなった。記憶の交差点はいまも底へ底へ、うずもれていく。

