友ヶ島汽船は和歌山県の加太にある、港と離島をつなぐフェリーとなっています。友ヶ島と呼ばれる離島群は漫画およびアニメ作品「サマータイムレンダ」の聖地としても知られます。今回取り上げたのはそのフェリーの客室内にちいさく貼られた注意書きです。

一読して、助詞「へ」の違和に気づくでしょう。「有ります」の漢字表記も相まって、かしこまった感じであったり、なにか古めかしい、文語にも似た格調のようなものを感じる人もいるのではないでしょうか。文体の妙です。一音の助詞が文体を支配してしまう、助詞空間の立ちあがりは俳句にもよく似ているでしょう。さらにこの一音への一瞬の違和から、格助詞「へ」がたどってきた膨大な歴史をわたしたちの身体は知覚していたことに気づくことができます。
格助詞「へ」は一般的に移動を表す動詞とともに用いられてその経路を示すものとして知られます。ところがここではむしろ到着点や場所を表しており、ついている動詞も「ある」という状態説明に近しいです。現代語では格助詞「に」に頻繁に使われる用法です。この移動経路とその到着点をめぐる「へ」と「に」の用法はながい歴史のなかで互いに侵食し合う関係にあったようです。
「へ」そのものが室町時代頃までにかなりの用法の多様化を遂げているものの、二者の関係においては特に江戸時代にあって「へ」の優位が確認され、到着点を表す「に」は多くが「へ」に代替されました。江戸後期に一度収束したこの「へ」の侵食はまた明治期にも見られ、二者は絶えず交替と共有、侵食を繰り返してきたようです。
わたしたちが今回の「へ」に古い感情を持つとしたら、近代文学への既視感がそうさせたのかもしれません。
フェリーは1998年竣工ということですから、この四半世紀のあいだにも助詞感覚に変動が起きていたのか、はたまた地方差による感覚の差異なのか、フェリーそれ自体の歴史も垣間見えてきます。一瞬のわたしたちの違和が助詞の宇宙を覗かせます。(蒋草馬)

参照
http://hdl.handle.net/2241/9829